小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり
「小善」とは自己満足のために行う小さな善行
例えば、我が子かわいさあまり 甘やかして育てることは、一見優しい親のように思えるが、本当にその子の将来のことを考えると、はたして本当に良いことなのか?
実は単なる自己満足で、むしろ罪なこと(大悪)なのではないか。
「大善」は本当の意味での良き行い
一方、我が子を厳しくしつける親は、一見とても非情に見えるが、その子の将来を考えれば実はとても良いこと(大善)である。
そこには 本当に相手を思いやる気持ち=愛があるか
「叱る」と「怒る」は違う。
「叱る」は、本当に相手のことを思っての行動、つまり「愛」がある利他の行為。
「怒る」は、自分の感情を相手にぶつけている利己の行為。
似ているが、全く違う。
職場や家庭でも年齢的に人の上の立場となることが多くなってきているが、この大善と小善は対人関係の中で 常に意識していなければならない。
指導された側も感謝の気持ちで受け止めることが大切
逆に、指導された側は、注意されたときでも それを大善と受け止め、むしろ感謝の気持ちで聞かなければならない。
注意するのは相手に良くなってほしい、と思うこからこそだからだ。
どうでも良ければ放っておく。
でも、なかなか素直に感謝などできない、イラッとしてしまう未熟な自分がいます。。(^^;