名経営者の著書を教科書に朝礼
アットライズでは、毎日朝礼を行っています。
全員が今日やるべき作業報告を行ったのち、「考え方・フィロソフィーの学び」として、主に名経営者の著書をテキストとして勉強しています。
松下幸之助氏や稲盛和夫氏など
過去には、松下幸之助氏の「道をひらく」や稲盛和夫氏の「心を高める、経営を伸ばす」などをテキストとしてきました。
今は京セラフィロソフィー
そして今は、私が所属し学ばせていただいている盛和塾の塾長でもある、稲盛和夫氏の「京セラフィロソフィー」をテキストにしています。
京セラフィロソフィーは、稲盛氏が一代で世界的大企業に育て上げた原点とも言える哲学をまとめたもの。
同じく稲盛氏が創業した第二電電(現KDDI)や、破綻したJALの劇的な再生も、この京セラフィロソフィーをベースとした企業哲学が優良企業の原動力となっています。
「純粋な心で人生を歩む」
今日の朝礼は、その京セラフィロソフィーの「純粋な心で人生を歩む」という項目。
古代インドのサンスクリット語で「偉大な人物の行動の成功は、その行動の手段によるよりも、その人の心の純粋さによる」という言葉が記されています。
技術的なノウハウやテクニックなどよりも、どれだけ純粋な心で取り組むかが、成功につながる、ということ。
古代インドとあるので、文明が現代のように進化するよりも遙か昔、何千年も前から言われている格言だと思うと 重みがある。
神様が味方したくなるような行いを
ある方から聞いた「神様が味方したくなるような行いを」という言葉を思い出した。
よく運が良いとか悪いとか言うけれど、ギリギリ切羽詰まったところで幸運に巡り会う人と、残念ながら運が悪い方へと導かれてしまう人がいる。
「日頃の行い」「情けは人のためならず」と言うが、やはり日頃から利己的な行いをしているのではなく、世のため人のためにと良い行いをしている人では、「いざ」というときの運命が分かれてしまうのだと思う。
「いざ」というとき、神様が「こいつは助けてやろう」と味方してくれるかくれないか、、
そう考えると日頃からいい加減な行いはできない。
日本には昔から「お天道様が見ているよ」という言葉がある。
誰も見ていなくてもお天道様=神様は ちゃんと見ているんだよ、だから悪いことしちゃダメなんだよ、と 子供に諭すような言葉だが、大人になった自分がはたしてこの言葉通りの行いをできているか。。
元旦に拾ったバッグ
元日の朝、いつものように愛犬の散歩をしていたら、いつも通る公園のベンチにセカンドバッグが落ちていた。
連絡先が書いてあれば電話してあげようと中を開けてみたが、スケジュール手帳や文庫本、お店の会員カードくらいしかなかった。
金目のものもないし盗られる心配もないだろうから、そのまま放置しておこうかと、、一瞬は思ったが、、
落とし主の元へちゃんと戻るようにと、交番まで届けた。
毎日朝礼でこんな勉強をしていても、こういう場面で「交番は遠いし、面倒だな」と思ってしまった自分は、、まだまだ修行が足りないようです。。(^^;
ちなみに20年くらい前、電話ボックスで財布を拾ったことがあり、入っていた従業員証を見てわざわざその会社の守衛所まで届けてあげたことがあった。
別にお礼を言って欲しかったわけではないが、、自分だったら拾ってくれた人にお礼の一言くらい言うわな、と思っていたのだが、結局一切連絡はなかった。
でも、それから1~2ヶ月後、ナント宝くじで100万円当たったのだ!!!
やっぱお天道様は見ているんだ、と実感した。
それ以来、人が見ていようといまいと、いい加減な行いはできなくなりました。。(^^;