製品には魂が宿る
今日の朝礼、テーマは「感謝の気持ちをもつ」。
その中に「製品にはそれを作る人の心が反映される」、という一文がある。
製造業であれば「製品」、非製造業であれば「商品」または「サービス」と言ってもいいだろう。
とにかく販売する商品には、作り手(売り手)の魂が宿ると思う。
朝礼のコメントで例に挙げたのが、観光バスの事故の話。
バスの事故、生死を分けた違いは何か!?
昨年の冬 長野県で起きたスキーバスの事故と、最近東名高速で起きた対向車が飛んできてバスに激突した事故。
長野の事故は不幸にも学生ら多くの方が亡くなった。
一方、東名の事故はあれだけの大事故にもかかわらずバスの乗員乗客に亡くなった方はいなかった。
これは単なる偶然だろうか?
長野のバス会社は、その後の調べで法令違反などの実態が明らかになった。
一方の東名事故のバス会社は、長野の事故を受けてドライブレコーダーを2台設置していた。しかもオンラインでデータをサーバー上に集中保存する仕組みにしていたため、事故の状況が迅速に確認できたと言う。
長野の事故を受けて、(記憶が正しければ)来年の秋以降に販売される新車バスについてはドライブレコーダーの設置が義務づけられると聞いたが、このバス会社は自主的に運用中のバスに取り付けていた。
この安全意識に対する会社の姿勢=経営者の姿勢と言っても良いかと思うが、これが被害の大きさ、つまり「運悪く、、」なのか「運良く、、」なのか、全く違った結果として現れてくるのではないだろうか。
私には「単なる偶然」とは思えない、なにか世の中の道理というか、因果応報というか、、そういう見えない力が少なからず働いているように思えてならない。
「バスの運行」というサービスだが、人の心が現れている=魂が宿っていると感じる。
運/不運というが、単なる偶然ではなく「必然」なのだろう。
「感謝」3つのランク
朝礼を担当した、まだ20代の若い女性スタッフが感想として「感謝には、初級・中級・上級の3つのランクがあると思う」と話してくれた。
初級は、自分が受けた恩に対して感謝すること。
中級は、当たり前のことに感謝すること。(例えばコンビニの店員とか)
そして上級は、例えば嫌な相手にも感謝すること。
と。
本人はまだとても上級の域には達していない、、と話していたが、若くして「感謝」というものに そういう意識を持っていること自体が素晴らしい。
自分が20代の頃なんて、感謝とうい気持ちをはたしてどれだけ持っていたことか。。
私の座右の銘は「感謝と謙虚」だが、、座右の銘も年代とともに変わってきた。
今の「感謝と謙虚」と考えるようになったのは、人間学や哲学的な学びをしてきた40代になってからのことだ。
毎朝 目覚めたときに「今日も暖かい布団の上で目覚めることができた、、ありがたい、感謝(-人-)」と手を合わせるが、これはまだ中級の域だな。。
上級の域には、、まだまだ修行が必要になりそうだ。。(^^;