『性弱説』は 人を思いやる考え方
セキュリティやコンプライアンスなどを考えるとき、とかく「性善説か性悪説か」で議論されることが多い。
性善説は言うまでもなく、「人は本来 善人なのだから 基本的には悪さをしない」という前提に添った考え方。
一方の性悪説は、それとは逆に「人はもともと悪さをするものだ」という前提での考え方。
『性弱説』という言葉がとてもしっくりくる
先日とある先輩経営者から『性弱説』という言葉を聞いた。
性善説、性悪説とは違い、「人というのは弱いものだ」という考え方が、みょーにしっくりきた。
ほとんどの人は、「もともとは悪さなどする気は毛頭ないし、悪さなどしない」と考えていると思う。
だが、何かの拍子に ほんの出来心、、とか、勇気がなくて、、とか、そんな感じで気がつくとマイナスの行動をとってしまうこともあるのではないか!?
それが『性弱説』。
例えば、ベンチに置き忘れたサイフが、、なんて時に「ほんの出来心で」、、などということはありがちかも知れない。
このシチュエーションであれば「いやオレはちゃんと届ける」と胸を張って言える人は多いだろうが、では次のようなケースはどうか?
仲良しグループ内で いじめが起きている。
勇気があれば「やめろよ」と言いたいところだが、ついつい心とは裏腹に笑って見てるだけ、、とか。
こういうケースも『性弱説』に当てはまる思う。
「人は弱いものだ」という考え方
私が盛和塾で学び 師事している京セラ創業者の稲盛和夫氏も、「人間は弱いものだ。だから罪を作らせない仕組みを作ることが人を守ることになる」と よく言われる。
昨今、企業内の不祥事などが毎日のように取りざたされている。
お金の着服などもそうだが、確かに罪を犯した本人が一番悪いことは言うまでもない。ただ、幹部の記者会見などで一方的に その人に非があることを主張し断罪するのを目にすると、、
いやそうなのか!? それをできる状況にしていた管理責任はないのか? と疑問に思う。
もし、しっかりとした「防ぐ仕組み」ができていたならば、その人もそんな罪を犯さずに済んだのではないか?
物事を「性悪説」で考えるとギスギスした世の中になってしまう。
そうではなくて、『性弱説』という考え方で、、あくまでも 相手を思いやる=人を守る という気持ちが大切だと思う。
[…] 最近よくいう考え方として、性弱説というものがあります。https://attrise.blog/ceo/archives/9003 […]