「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」
日々、経営や人生哲学に関する勉強をしているが、その中で「これは!」と思う 『言葉』 に出会うことがしばしばある。
そんな、私が出会った格言とも言える「言葉」について書き留めておきます。
一見非情だが
もともとは仏教用語らしいが、京セラ名誉会長の稲盛和夫盛和塾塾長の講話や著書でよく述べられる言葉である。
例えば、、
子供を甘やかしてちやほや育てる。
これは一見やさしい親であるように見える(=小善)が、甘やかされて育った子供は将来大人になったときに苦労することになる(=大悪)。子供の将来を本当に考えるのであれば、きちんと躾けをし、時には厳しく接すること(=非情)が、長い目で見て本人のためになる(=大善)。
「小善」は一見 良きこと(=「善」)であるように見えるが、実は結果的に大きな欠陥を生むことになる(=大悪)。一方、本当に本人のため、または組織全体のため、世の中のためになる行い(=大善)は、一見するととても「非情」に映ることがある。
逆もまた然り
稲盛氏の話では以下のような例えがある。
会社で部下を厳しく指導することは一見非情にも見えるが実は「大善」なのだ。
また、経営が厳しい状況で安易に給与・賞与などをアップすることは、一見思いやりがあるように思える(=小善)が、それで会社が潰れて社員を路頭に迷わすようでは何の意味もない(=大悪)。
「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」、、深い言葉です。
この言葉は社員指導の際常に「小善か?」
と自問し「非情」を選んで来ました。
今年1年を私自信成長せせて頂いたお言葉です。