知覧以来、一度行ってみたかった場所
以前、知覧の知覧特攻平和会館に行ったことがある。
今、我々は平和で穏やかな日々を過ごせているが、あの時代に生きた若者は祖国のためにという大義のもと、命を投げ打って戦った。
特攻隊員の遺書や遺品を見ていると、さぞかし無念であったろうことが伺える。
そういう貴い多くの犠牲の上に今我々は生かされている。
法律や公序良俗を犯さない限り、基本的には自由に自分の意思で人生を選択し生きることができる。
これは、とても幸せなことで、決して忘れてはならないことでもあると思う。
そういう意味では知覧は自分にとって戒めの場所だった。
そんな知覧から数年が経過し、首都圏でもどこか戒めの場所がないか探したところ、靖国神社に遊就館という展示施設があることがわかった。
それからおよそ半年、先日打合せの合間の時間に やっと行くことができた。
戦没者を合祀する靖国神社
知覧は特攻基地があった場所なので、特攻隊に特化した展示内容であったが、靖国神社はおよそ150年前の明治2年に建てられ、以降 戦没者を合祀する神社としてのあゆみがあるためか、遊就館も太平洋戦争のみならず過去の戦争についても その歴史を伝えている。
そのため、特攻隊に関する展示は、全体からすると少なめであった。
ただ、何より目を引いたのが戦没された英霊の遺影が無数に貼られていること。
1枚10センチもないような小さな写真が、いくつもの展示室に掲示されていた。
あまり定かではないが見学中 1万枚以上、、と書いてあったような気がする。
そして、そのほとんどが若者だった。
靖国神社に祀られている英霊は200万柱以上にのぼる。
戦争でそれだけ多くの人が命をなくされたということだ。
本人の無念はもちろん、その家族、肉親の無念を合わせれば 戦争とは いったいどれだけの悲劇をもたらしたことか。
二度と繰り返してはならない。
今、この平和な時代に生きる我々がしなければならないこと
生きたくても生き続けることが叶わなかった人々の無念を思えば、今 この平和な時代に生きる我々は 自らに与えられた役割を全うし、世のため人のために尽くさなければならないと思う。
すぐに怠け心が出てしまう自分としては、自戒のためにも 忘れそうになったらまた訪れたい。